みなさまは、坂西志保さんのこんな言葉をご存じでしょうか?
「生きるということは、出合った出来事をひとつずつ片付けていくことです。大きな出来事にポンと放り出されると、勇気が湧いてきます」
私は、この言葉に、高校生の時出合いました。
通院、体育見学。クラブ、掃除免除という高校生活でした。
この志保さんの言葉から、私は大きなエネルギーを受け取りました。
坂西志保さんは、明治29年神田に生れ、小樽近郊で幼年期を過ごし、東京女子大を中退後、米国に渡り、ホリンズ大学助教授を経て米国議会図書館の極東部長に就き、今日の米国の日本研究の礎を作った人です。
第2次大戦が始まり、彼女は日米交換船で昭和17年に帰国し、翌年から国際文化振興会で働くようになりました。
その「国際文化振興会」は、洋二郎が一度は就職した所なのです。
洋二郎の就職期間は短かったようですが、志保さんに出逢っていないとは、言い切れませんよね。
そして、その国際文化振興会には、福田恆存さん(旧制浦和高校の先輩)も勤めていたのです。
彼女は、死んだら猫の国の厚生大臣になりたいと言っていたそうです。
直子
Photo by Kenji
大磯の自宅庭で『坂西志保さん』発行所国際文化会館 より転載