今日は洋二郎の命日です。
洋二郎は1953年7月29日、滝野川の印刷局病院で亡くなりました。
37歳でした。
肺結核は当時治癒率が低い病気でした。
洋二郎の兄も弟も結核にかかっています。
避けることが難しかった病だったようです。
1953年7月20日エルテルでのクレパス画展最終日。
二度喀血した洋二郎はそのまま宿で寝付いてしまいました。
宇佐見さんは電話で知らされ、宿屋に駆けつけます。
その後、宇佐見さんは、その時の様子を、『同時代』という雑誌に追悼文として掲載しています。
寝床の左に彼が昨日まで着ていた背広とワイシャツがぬぎすててあった。ほかには宿のそなえつけの、黒檀まがいの小卓が一つあるきりだ。彼はもう一切の持物をなくしていた。
蒲団も茶碗も、着更え一つもっていない。彼は、石医院を出てから、自分の体と自分の体をつつむ服とスケッチ・ブックとただそれだけしか持たなかった。
或る場所から或る場所へうつるとき彼は自分の世界をもって移動した。
それに比べたら、私はどれほど多くのものを持っているだろう。
いつか蒲団をやろうと私がいったことがある。
癖になっていけない、と彼はそのとき断った。
『眼の光 画家・島村洋二郎』p138より *現代仮名使いに変えました
読むたびに、宇佐見さんに感謝せずにはいられません。
何が食べたいかと聞かれた洋二郎が、「スイミツ・・・水蜜桃のようなものが食べたい」と書かれていたので、めったに買わない桃を、洋二郎にお供えしました。
直子