今日は、君子さんの誕生日です。君子さんは、横須賀第二高女の学生だった時、洋二郎と知り合い、結婚、男の子を出産します。
当時荻窪の花屋を洋二郎と二人で営んでいましたが、洋二郎が結核治療のため入院し、男の子は乳児院に預けられます。
生後2か月でした。
私の父は、仕事が終わると、電車を乗り継ぎ、荻窪の花屋へ手伝いに出かけました。
お盆のころ、売り上げがよく、一息つけると思っていた矢先、手伝いに頼んでいた人に、売り上げをすべて持ち逃げされました。
君子さんは、どんなにショックだったことでしょう。
君子さんは店を閉め、働きに出ることになりました。
仕事先は、銀座のダンスホール美松。
当時、採用試験に二人来て、女優さんが落ちて、君子さんが受かったそうです。
ダンスの特訓は、洋二郎の兄信夫がしたそうです。
入院費や、滋養に富んだ食べ物を得るために、君子さんは働き続けました。
同じ頃、私の父は、秋の健康診断で重い結核にかかっていることが判明。
肺葉切除という手術を受けることになり、千葉大病院に入院しました。
付き添いが必要なため、母は病院へ、赤ん坊だった私は親戚や知り合いの家に転々と預けられました。
男の子(洋二郎の二男鉄)は、乳児院へ預けられます。
結局、3歳になるまで乳児院で過ごしました。
半年後、洋二郎の退院の日、君子さんは出奔します。
そして、アメリカ人と結婚し、穏やかな家庭を作り上げます。
ファミリーヒストリーという番組で、アメリカへ養子となって渡った鉄(洋二郎の二男)を探し出してもらい、その後、鉄(テリー・U・ウェーバー)は、妻のシャロンと協力して生母君子の居所を探し当てました。
私は、君子さんが穏やかに生活していることをずっと願っていたので、テリーから君子さんの居所が分かり、その後会うことも出来たと知らされたときは、心から嬉しく、悦びが全身を駆け巡りました。
どんなに君子さんは驚いたことでしょう。
テリーも、君子さんもどんなに勇気が必要だったことでしょう。
想像すると、胸が痛くなります。
それでも、二人が会うことが出来て、本当に良かった。
1953年、生きることを選び、進んで行った君子さんの選択に,
私は心から拍手を送ります。
今日は君子さんの誕生日です。
直子

