洋二郎作品のこと 2025年後半 「私の洋二郎」


少年の眸 山本萠

2025.8.21


       

 

ここ数年の私のカレンダーは、クレパスが主であるが、しごとが白と黒の書の制作なので、気分を変えるためには現在、多色のクレパスが面白い。その上、油彩などに較べ材料も準備も簡素なのがいい。画面がテカらないのもお気に入りだ。ただクレパスを巻いている紙を外して使うので、手は汚れでベタベタになってしまう。 

 

今年の冬から春にかけて多忙が続き、やむなく六、七月の猛暑期に画を描いた。溶け出しそうなクレパスにはホトホト困惑した。紙上にはいつもの、表面上の何かが剥落してゆくような、あの、渇いた表面感が案の定現れてこなかった。それでも毎日のように集中的にクレパスを握った。視力がどんどん弱まっていくのを感じながら、白い紙を塗り潰していった。このまま続けると失明するのではないかと怯えつつ、手からはクレパスが離れない。

 

徐々に見えづらくなってゆく目の隅のどこかに、(おもかげ)もおぼろな画家島村洋二郎(19161953)がいるのを私は知っている。洋二郎は私のように中途半端な泣き言は吐かなかった。いかに手が汚れようとも、彼には安価なクレパスしかなかったのだ。

 

洋二郎最晩年の頃に、集中的に描いた多くのクレパス画の中で、ことに私が心惹かれたのは《忘れられない(ひと)》や《山本次郎像》《君子像》《猫と少年》《自画像》《少女像》等いろいろあるが、初めて詩誌の印刷で目にした《少年》は強烈な印象であった。この作品については以前にも短文で触れたことがあるが、初見は詩人坂井信夫さんの詩誌『索』誌上だったと思う。それまで洋二郎の名前さえ知らず、その冊子をパラリと開いた私に、画中の少年が強い求引力で何ごとかを告げたのだった。この作品は、ゴッホの自画像に似ているとも指摘されているが、ここでは措いて、少年のまっしぐらなまなざし、引き締まった顎、何か決意に満ちたような口もと。それから後方へと張り出している丸い後頭部、と私の目は往き交う。その作品が、洋二郎が亡くなる少し前に描かれたクレパス画だったとは。

 

その後まもなく原画を目にすることになるが、目に染むようなバックのブルー以外、白と黒のモノトーンの色調であったことにも驚かされた。モデルの少年は、長男の林冬人氏かと思えるが、その少年の相貌に託しての、自身の生への明白な表明であったに相違ない。島村洋二郎は、宿痾である結核を悪化させつつも、決して生きることを諦めてはいなかったのだ。簡易宿泊所に起居し、吐血を繰り返しながらも激しく手を動かして、同じく貧苦にまみれた同宿人たちをクレパスで描いた。激しくも静謐なマチエールの《少年》は、永遠に澱むことのないその眸で、観る者の生をも衝ち続けている。

姪に当たる島村直子さんの、それこそ半生を賭けた尽力によって、残され、各地で発見された数々の洋二郎作品の前で、私はただ黙禱する心地で佇ち尽くすばかりだ。                     

                               詩人

付記

 

クレパス画《少年》のモデルの、洋二郎の長男である林冬人氏(19422014)にも、千葉県柏市ハックルベリーブックスでの「島村洋二郎展」でお目にかかることが出来、記念写真を並んで撮ってもらったこともあった。俳優緒形拳似の、内省的な面差しの素敵な存在感溢れる方で、展覧会後病がみつかり、まもなく亡くなられてしまったことは無念でならない。彼は八丈島在住の写真家で、絵葉書にもなっていた海の写真の、恐ろしいまでの特筆すべきその迫力も忘れ難い。父である洋二郎の、芸術家としての血筋を強く引いていた人だったのだろうと思われる。

 

 



水蜜桃(すいみつ)の日   武田 桂

2025.7.29

 

   100年 経っても

   変わらない

   それがあいつさ あいつ

   時代の 気色(けしき)に

   馴染めない

   それがあいつさ あいつ

   鳥たちも あの猫も

   自由じゃないと

   月をみつけ

   手を振る

      それがあいつさ あいつ

   人間だけだよ

   自由だと

   むなしく 風を追いかける

   それがあいつさ あいつ

   形ある ものはすべて

   消えてゆくよと

   月を見つけ

   ニンマリ

 

   それがあいつ