洋二郎作品のこと2026年後半  「私の洋二郎」


島村洋二郎との再会   鈴木重雄

2026.7.28

 

 朝、新聞を読んでいると一つの記事が目に飛び込んできました。

 

「早世の美術家 無限の悲哀

飯田・下伊那にも居住「島村洋二郎」展」

 

「長野県で何故島村洋二郎展があるのだろうか?」

まず頭に浮かんできたのはそんな思いでした。

 

わたしが敬愛する岡本謙次郎の若き日の友人である島村洋二郎。

 

頭には岡本先生との色々なことが次々と浮かんできました。

 

その展覧会の実現に尽力されている姪の島村直子さんのことは、「眼の光 画家・島村洋二郎」の編著者としてお名前だけは知っていました。

 

この展覧会には是非行こうと思いましたが、できれば島村直子さんにもお会いしたいと思いましたし、岡本謙次郎の際遺書の評論「運慶論」の装丁を島村洋二郎が手掛けており、手元には二冊あるので島村直子さんはお持ちかもしれないけれど、一冊お渡ししたいとも思いました(今思うと、島村直子さんが島村洋二郎についてどれだけ幅広く、深くご存知なのかも知らずに、随分と恥ずかしいことを思い立ったものでした)。

 

 当日は島村直子さんにはお会いできなかったので、美術館の方に運慶論を預けてお渡しいただくようお願いしました。連絡先を、というのでメモを残し、その日は島村洋二郎展をゆっくり観て過ごしました。映画を拝見して、込み上げてくる感情を自分でなかなか消化できずに戸惑いました。

 

 後日、島村直子さんからご連絡をいただき、電話でお話をする機会が生まれました。

 

 岡本謙次郎にとって、島村洋二郎とはどのような存在だったのか。

 この問いは、思いの外答えるのが難しいのではないか、というのがわたしの第一感でした。

 

 信濃毎日新聞の記事には

 「戦後の暗い時代、彼は赤貧と結核に悩みながら、木賃宿を流浪し、ついには鍋釜、油絵の具も売り払い」手元に残されたオイルパステルで描き続けた─と親友の宇佐見英治(詩人、19182002年)は信濃毎日新聞への寄稿で忍んでいる(19881021日付朝刊文化面)。

 と記されています。

 

 誤解を恐れずにいえば、こういう画家を語るのはとても難しい。そこにある「物語」を読み取り、そこから「わかったつもり」になる危険がいつも横たわっているからです。

 

 画家は苦しんでいるから、赤貧に喘いでもなお絵を描き続けたから素晴らしいのはない。素晴らしい作品を描いたそのことが素晴らしい。

 

岡本謙次郎は、よくカロッサの「花束を人に差し出す時には根を切って差し出す」という言葉を紹介しています。美しい花が咲くのは、土にまみれた根が深く広く広がっているからですが、花として人に差し出すときはその根をバッサリ切り落とす。生まれるまで苦労は秘すものです。

 

 では、岡本謙次郎は、画家の苦闘を見ていなかったのか。

 

決してそうではありません。むしろ、並外れた感受性の持ち主で、画家たちの苦闘、苦しみ、悩みを感じ取ることができたのだとわたしは考えています。そうした苦闘を深く、強く感じるからこそ、そのことをストレートに語りたくはない。あえて言えば、分かったようなことを口にしたくない。そうではなく、その苦闘の中から生まれた作品がいかに素晴らしいか、美しいか、それをのみ語るのが「礼節」だと考えていたはずです。

 

 その振幅がいかに深いものか、それを感じ取ることは実はなかなかに難しいというのがわたしの考えです。

 

 島村直子さんとの電話での会話で、岡本謙次郎は客間に終生島村洋二郎の作品を飾っていたことをお伝えしました。

 

 岡本謙次郎は島村洋二郎の人生について多くを語りませんでした。

「とても苦労をした人でね」くらいのことしか言いませんでした。でも、その作品を客間に飾り続けたこと、斎藤義重、佐藤達をはじめとする現代作家の中に飾り続けていたこと、そのことは岡本謙次郎が島村洋二郎をどのように愛していたかを無言で示している、というのがわたしの考えです。

 

「とてもいい色が出ているんだけどね」とだけおっしゃいましたが、「けどね」の後には島村洋二郎へのおおよそ簡単には言葉にできない万感の思いがあったに違いない、とわたしは考えています。花の下に錯綜していた島村洋二郎の根に、どれだけ深い感性で響き合っていたのか、それは到底うかがい知ることのできないものでしょう。

 

 そのようなことを思いながら、「岡本先生、先生はやっぱりわかりにくいかもしれないです。そこが先生の本当の魅力なんですけれどね」と、わたしも「けれどね」に愛情と万感の思いを込めて書きたいと思います。

 

 岡本謙次郎について語ろうとすると、語っているのと同時に「これでは足りない」という思いがわいてきます。

 

 岡本謙次郎がブレイクについて書いた一文に「清冽と混濁、愛情と憎悪、敬虔と傲慢、やさしみと戦闘性、創造力と破壊力というような相反するものが同時に、あるいは、全く同じものとして、定着される。」とあります。

 

 文章で流して読んでしまうと分かったような気にもなりますが、こうした相反するものが「同時に定着される」ということを実感することは非常に難しいように思います。

 

 それも、その相反するものの振幅が並外れて大きいのですから。

 岡本先生と接していると、恐ろしいほどの優しさに気づきます。が、それだけではない。書くものを読めば、その繊細な感受性があふれていると同時に、確かに驚くような厳しさにも出逢います。それは全く別のものではない。それを全的に受け止めることができた時に、はじめて見えてくる地平があるように思います。

 

 そのように芸術に向き合うことは難しいかもしれない。でも、芸術に接することは決して難しいことではないのですよ、と微笑みながら伝えることができるのが岡本謙次郎です。

 

 その岡本謙次郎が、友人である島村洋二郎にどれだけの愛情を持っていたか。

 

 

 やはりわたしにはまだまだとても語ることが難しいようです。